深夜テンションブログ

こんばんは。カラオケで必ず地元の映像が流れるマッチョウィンプスです。

 

果たして生きる目的はなんだろうか。子孫を残すこと、金を稼ぐこと、愛する人と結ばれること、美味しい食べ物を口にすること……。

 

おそらく人それぞれ違うだろう。そして大きな夢や希望を抱いている人はかなり少ないはずだ。そんな物、人並みに生きていて特別な才能も持っていない、もしくは18になっても見つからなかったのならごく普通のことだ。

 

今のようにダラダラと生きていても楽しい事よりしんどい事の方が絶対に多いし、ならいっそのことくたばっちまった方が生きているよりマシなんじゃないかとさえ思うこともある。

 

しかし自ら命を絶とうとか、死にたいだとか本気で心の底から思っている人はおそらく僕をはじめ、このブログを読んでくれている人の中にはいないんじゃないかと思う。

 

何故か。逃げ続けているからだ。思えばこれまでの人生で何かリスクを冒してまで挑んだことがない。リスクから逃げ、できるだけ痛手を負わないように慎重に、慎重に生きてきた。

 

人から嫌われるのを避けて言いたいことも言わず、煩わしい人間関係を避けて自分から誰かに心を開かない。1人では生きられないくせに。自分は幸運にも話しかけてくれる人がいたおかげで友人関係に困ったりはしていないが、本来なら自ら何も発信しないような奴に友人などできるはずがない。

 

基本的に学校生活では全てをそつなくこなすことが求められるので、何かを犠牲にして何かに打ち込むことは困難だし、そんな人は周囲から浮いてしまって白い目で見られることになる。

 

それは凄く怖いことだ。多数派が正義とされるこの社会で孤立するということは、パンツ一丁でサバンナのライオンの群れに突っ込んで行くのと同じだ。

そして一度失敗すれば全てを失い、多数派の人間からそれ見たことかと嘲笑われ、袋叩きにあう。

 

その恐怖に打ち勝ち、その他様々なリスクを乗り越えた強靭な精神と運の持ち主だけが「勝ち組」と呼ばれる。

 

僕はそのような危険な戦いを避け、平々凡々と暮らしている。そんな奴が自ら人生を終わらせることなど出来るはずはない。生きることからも、死ぬことからも逃げているのだ。勝ち組が作り上げた社会に飼いならされているだけ、言わばビニールハウスで育てられた雑草だ。踏まれたら悲鳴をあげてしまうようなひ弱な雑草の分際で綺麗な花を咲かせようなんてお門違いなのだ。

 

そもそも今僕が歩んでいるリスクの少ない人生だって社会だって、数え切れない程の先人達の

失敗が教訓となり成り立っている。よく言われるように死屍累々の上に今の世の中がある。

 

 だったらそれを思う存分利用してやればいい。人の失敗を見て失敗しない道へ進めばいい。学校で教わった通り言うこと聞いていれば無難にやり過ごせるし、金まで貰える。所詮僕たちは部品に過ぎないのだ。突然"自由"を与えられても上手く利用できないし、だったら言いなりになっていた方が遥かに楽チン。

 

しかし失敗するのが自分の番になると話が違う、こんなはずじゃなかったと言う奴がいる。いろんな失敗故の屍から恩恵を受けて危険な道から逃げ続けていたくせに。

自分は賢く生きてきたと勝手にのぼせ上がったチキン野郎は、自分が失敗例になることをひどく恐れる。まあ僕を含め大半の人間がそんなもんだろう。

 

それでいい。これからも逃げて逃げて逃げ回って、逃れられない寿命までまっしぐら。死ぬまで逃げ続けてやろうじゃないか。

自分が今持ってる物なんて大した価値はないのに、それさえも犠牲にできないのであれば全部抱えて逃げればいい。得るものはないけど何も失わずに死ねる。幸せなことじゃないか。

 

そんなの嫌だと言うなら今すぐその温室のビニールハウスから抜け出す他ない。リスク無くして得るものや成功なんかあるはずない。宝くじでも当たれば話は別だが。

 

温室から抜け出した世界で戦い抜いて傷付いて、全てを失ってしまったならその時こそ自ら命を絶てばいい。死は救済だ。現に倒産した会社の社長とか、リスクに敗れて首を吊る人は後を絶たない。逆に何かに成功し巨万の富を得た者は危険な道を幾度となく歩んできたはずだ。成功に必要なのは努力なんかじゃなくてリスクを背負う覚悟だ。

 

失うのが怖くてリスクを冒すことのできない僕たちができるのは、せいぜい、最前線で戦う者たちの邪魔をしないよう静かに生きることぐらいだ。

 

だからと言って絶望する必要はない。安全なルートでぬくぬくと育った雑草の仲間はたくさんいる。その仲間達と傷を舐めあいながら生きていけばいいのだから。

社会に必要とされなくても、個人として自分を必要としてくれる存在、もしくは自分にとって自分より大切な存在を見つければいい。その相手も人それぞれだろう。結婚相手でも友達でも実在しないものでも何でもいい。

 

僕たち凡人が生きているということを実感できるのは結局そういう存在を見つける瞬間ではないだろうか。

 

少し欲を言わせてもらえるなら、自分が死ぬときに誰かに悲しまれたり喜ばれたりしたい。

綺麗事じみたキモい事を言うと人の心の中に生きたい。

 

ダラダラと書いたけど簡単に言えば高望みしなければ自分と同じようなしょうもない奴とそれなりに生きていけるけど、それが嫌なら僕のような人間と群れてないで戦えということ。

 

ブルーハーツのチェインギャングという曲の歌詞にあるように、生きているということはカッコ悪いし死んでしまうということは惨めなことなのだろう。凡人が生きてたって死んだって一緒だ。気負うことはない。

 

所詮人生暇つぶし、嫌になったらやめればいい。

https://youtu.be/6gkL3mKbntg

 

↑良い曲だから聴いてみてね♡♡♡

さようなら