センスがあると言われたくて

散髪をした。

「お客さん、頭がかなり凝ってますねぇ。」と店主が言った。

“コリ”というのは肩や首のように、筋肉のある部位にのみ存在する概念だと思っていた僕は「頭って凝るもんなんすか?」と馬鹿な問いかけをした。

「ストレスや考え事の多い人は凝りやすいんですよ。」と店主は応えた。

学生風情の俺がストレスや考え事なんて烏滸がましいと思い、小恥ずかしくなったので慌てて話題を逸らした。

帰宅してさっき店主に言われたことを反芻する。少し嬉しくなっている自分がいた。

それは、何も考えないで生きている馬鹿で世渡りの上手さだけが取り柄(と僕が決めつけている)の奴らが嫌いだからだろう。

嫌いな人間と離れたところにいる自分というものが、「頭の凝り」によって科学的に、客観的に証明されたような気がしたのだ。

言われてみると、考え事に関しては実際に多い方だと思う。

このブログは頭や感情がオーバーヒートしそうになった時のクールダウンが目的だし、暖かい季節にはほぼ毎晩散歩に出かけては公園のベンチに腰掛けて物思いに耽っている。以前このブログでも書いたが、賢者タイムと呼ばれる約30分の間には決まって人生の反省会を開催している。

故に頭が冴えて眠れない。

もう長いこと、就寝時には適当な動画を垂れ流すか、ラジオでも聞くなどして自分との対話を強制的に遮断しないとなかなか寝付けない。

そこで、逆に「考え事」について考えてみることにした。

まず何故考え事をするのか。

一言で言えばネクラだから。考え事をしている人は、仕事や人生がうまくいっていなかったり、悩みや不安が解決できずに苦しんでいたりすることが多いと思う。

つまりネガティブな感情によって考え事という事象が発生することがほとんどだ。心がネガティブに支配されることが多いから、考え事をすることも多くなる。決して考える事が好きな訳でも、考え事をしている自分が好きな訳でもない。むしろ逆である。

次に何を考えているのか。

勿論ネガティブな事だ。僕の場合は、過去の失敗や、◯◯が嫌いでそれは何故かという事について考えることが多い。

前者について。

なぜ過去のことをいつまでもウジウジと引きずっているのかとお考えの人もいるだろう。

そういった人たちには今すぐこのブラウザを閉じ、レぺゼン地球の動画でも鑑賞することを推奨する。おそらく僕の考えは理解されないし、余計な思想を植え付けて輝かしい日常に翳りを与えてしまったら責任を負えない。

さて、なぜ過去のことを清算できないかというと、プライドの高さや自信の無さが原因と思われる。

等身大の自分と理想の自分に大きな相違がある人、そして言動が本来の実力と一致しない人は「プライドが高い」と言われる。

プライドが高いから、理想の自分であれなかった事を忘れられない。

自信がないから、それを次に繋げることができない。(次はできるという保証がないから。もっと言えば同じ瞬間というものは人生でほとんど無いから、そもそも次なんてものが存在しない)

続いて後者、嫌いという感情について。

「嫌い」には物理的なそれと心理的・論理的なそれがある。

例えばパクチーの味が嫌い。これは物理的な嫌悪である。

そして映画、音楽、人間、行動などに向けられる嫌悪には心理的・論理的な原因がある。

物理的嫌悪に関してはどうしようもないし大した問題ではない。

問題はそれ以外に向けられる嫌悪である。

思えば中学くらいからそういった類の嫌いな物事が増え、高校、大学と進むにつれ加速して行った。

一言で言えば中二病

学校行事で熱くなって涙する奴、真面目で教師に気に入られる奴、推薦や内部進学で大学に進む奴、大学の喫煙所を占拠して誰々が何杯飲んだと豪語するサークル連中、奇抜な服や髪で浅はかなな個性をひけらかしておきながら無難に就職する奴。

僕は彼らを心の底から馬鹿にしてきた。

自分より熱くて真面目で世渡り上手な彼らを、自分より楽しく過ごしている彼らを、無理やり否定することで自分が劣等感に苛まれるのを避けてきた。

努力によって自らを変えるより、彼らを否定するほうが遙かにラクだった。

否定することで彼らより優位になった気になるし、周りとは違う観点を持ったセンスのある奴を気取ることも出来る。(勿論、否定の仕方や言い回しに多少のセンスが無いと本当に全人類から嫌われます。)

そうやって新しい事や価値観の合わない人など、色々と否定している内に世の中が敵だらけになってしまった。

結果としてそれが行動や交遊の範囲を狭めることになる。

周りに敵しかいないから、常に周囲の目線が気になって仕方ない。

表参道なんぞ歩くときには緊張とイライラで吐き気を催す。

場違いじゃないかと怯える。それは僕が他の人間をそういう目で見ているから、自分にも冷たい目線が向かっていると思い込む。

敵と同じことをしたくないから、一人で行動するか何もしないか。

敵と同じ行動を取ることは、敵の肯定、すなわち自分の否定へと繋がる。

そうして楽しいと思える瞬間がますます減っていくのだ。

ダラダラと統合失調症患者みたいな事を書いたが、何が言いたいかと言うと「嫌い」という感情は自分を守るためにうまれ、結局自分を生き辛くしているということ。

 

自分の弱さやプライドの高さを隠し持ったまま他者を否定する快楽の沼は、恐ろしく深い。

そこから抜け出して少しでも明るく楽しく生きるにはどうすればいいのだろうか。

おそらく、否定をやめることと、好きなことを見つけることの他にない。

例えば、タピオカドリンクの店に行列が出来ているとする。

その際

「カエルの卵飲んだぐらいでインスタか。めでてぇ奴らだな。脳みそカエルより小さいんか?」

という本音をぐっとこらえて、

「まぁ、若者にはあれが楽しいんだろうな」

と捉えることでパシャパシャとドリンク片手に写真を撮っているそこのJKは敵ではなくなる。

多分、僕は他人の行いを素直に羨ましがったり、肯定したりすることは出来ない。

それでも敵視をやめることで敵を減らし、生き辛さからの解脱を目指すことくらいは可能なはずだ。

そしてあまり金がかからず、ほどよい疲労感を与えてくれる趣味を探そうと思う。

これは大人の階段を上るとか、人として丸くなるといったことに近いのかもしれない。

今まで自分が否定してきた事をやったり、嫌いだった何かになるというのはカッコ悪いし恥ずかしいことだ。

「何をいまさらw」と、冷笑の対象になるだろう。

だが構わんのだ。

冷笑する人間の気持ちはよく分かっているつもりだ。

 

「お前も早くこっちに来いよ」

30歳の僕は今の僕にそう言ってくれるだろうか。

 

ナナメの夕暮れ

ナナメの夕暮れ

 

 ↑買え。貸してあげてもいいけど。

 

 

♪今日までそして明日から/吉田拓郎

 

 

今日までそして明日から

今日までそして明日から

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さようなら、また次回。

 

 

俺 is over

お久しぶりです。まだ死んでません。

 

このところブログを書いていなかった。

その原因は多忙でも忘れていたのでもなく僕自身が丸くなってしまったことだ。

僕が何を思った所で、くだらなかったあの頃に戻れる訳ではない。

僕も、友人も、皆変わっていくのだ。

友人との付き合いや、楽しい事より優先すべき事がきっと増えていくだろう。

青春が終わり、人生が始まるとでも言おうか。

僕はいつの間にか「嫌われない立ち振る舞い」をするようになっていた。

女のつまらない話も聞いていられるようになったし、スカートみたいなズボン履いてオシャレ面してる男がいてもそれを馬鹿にすることをしなくなった。

女に政治をさせるなとか、明るいだけの馬鹿は酒を飲むなとか、これまでは声を大にして言っていた事を内に秘め、自分で消化できるようになってしまった。

結局、世の中の大半の人間は本来僕が苦手とするような奴らなのだ。

そこに馴染む事はしないまでも、奴らを敵に回さない方が得策であることは明白だ。

どうせ胸の内を披露する機会すら無くなっていくのだから。

以前このブログに年を重ねるごとにつまらない奴が増えると書いたが、今になって考えるとそれは当然のことなのかもしれない。

つまらないと思っていたあいつらは、実は僕より大人で、僕が精神的に幼かっただけだとも考えられる。

そして僕も、同じようにつまらない人間に成り下がるのだろう。

残念でならない。が、大人の階段を上るというのはそういう事だ。

思うに、自己満足の為に生きるには人生は長すぎる。

このまま拗らせた頑固ジジイになってしまうぐらいなら、良いパパでも演じながら幸せな家庭とやらを築いてみたいものだ。

いっそ沖縄にでも家を構え、庭で大型犬を飼い、土日には親父特製カレーを作り、娘の幼稚園の低レベルなお遊戯会で涙を流したりするのも悪くないかもしれない。

結局僕は普通で平凡で無個性なのだ。

そろそろそれを受け入れる時期だ。

尖っていた(と自分で言うのは小っ恥ずかしいが)自分と決別する時が近いようだ。

寂しい。実に寂しい。

けれども苦しかった大学生活よりはいくらかマシであると願う他ない。

 

 

 

どのAV女優が抜けるとか、誰々のブラジャーが透けてるとか、そんな話でヘラヘラ笑い合っているだけで良かったのになあ…。

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止まれないこの世界で胸を張って生きるしかない

 

 

さようなら。

Pleasure'98 ~人生の快楽~

Pleasure'98 ~人生の快楽~

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デブは電車で座るな

デブにデブと言うと差別だとか暴言だとか言うデブがいるがデブは差別され迫害されて当然だと思う。

僕の指すデブというのは相撲やコンタクトスポーツなど目的があって太っている人を除いた、脂肪だらけの自堕落な肥満人間のことだ。

 

「体質なんだからしょうがないじゃないか!」

これはデブが必ず言う台詞である。

確かに体質によって太りやすい人や太りにくい人はいる。

しかし考えてみてほしい。

産まれた瞬間からデブだった人間などほとんどいないはずだ。

つまり大人になって太っているということは、それまでの人生で自堕落な生活を送ってきた証なのだ。

20年近く生きていれば自分の体質ぐらい理解できるはずである。

にも関わらず欲望のままに食べまくっているから太るのだ。

簡単な話、食わずに動けば痩せるってのにそれをしようともしない、しても続かない。

デブは自己管理ができていない、自分に甘いと判断されても文句は言えないだろう。

人は見かけによらないとよく言われるが、デブに関しては見た目で判断されて当然と言える。

だいたい、デブでいることにメリットが無いんだよな。

醜いし、暑苦しいし、くせぇし、動きは遅くなるし。

それだけじゃない。

デブは周囲の人間に迷惑をかけているのだ。

混雑した電車でデブが隣に座ってきたら窮屈になる。

何故だらしない人間のためにこっちが窮屈な思いをしなければならないのか。

デブは電車賃2倍払えや。

座らなくても同様だ。

満員電車にデブが乗ろうもんなら本当に殺意が湧く。

デブは電車なんか乗ってねーで走れや。

周りが当たり前にやってる体の管理すら出来てないのに同じ権利主張してんじゃねーよ。

同じサービス受けたきゃ金を払うんだな!

飛行機だってデブが乗らなきゃこっちが荷物代払ってやる必要ないんだし。

誘惑に弱いクズが!

もし俺がそっち側の体質なら太ってまで食わないけどな!

まあ俺がお前らの分まで食っといてやるから、しこしこ縄跳びでもやってな!

痩せるまで街に繰り出すんじゃねーぞ!

 

 

以上、ヒョロガリの戯言でした。

さようなら。

 

♪Another One Bites the Dust/QUEEN

 

夢の中で僕ら手を繋いで飛んでた

初めて明晰夢というやつを見た。

夢であるという自覚を持ちながら見る夢のことらしい。

とにかく、僕は夢の中で夢であると自覚していた。

夢の内容はこうだ。

 

僕が過去に知り合った人間がたくさんカラオケのある居酒屋(巨大なスナックのような感じ)にいて、泥酔していた。

隣の席には僕が昔好きだった子が座っていて、彼女もまた泥酔していた。

隣の卓には何故かバナナマンとスタッフのような人間数名が番組の打ち上げをしていて、軽く挨拶をした。

この辺りで夢だと気付くも、甘酸っぱい淫夢の予感がしたので必死に覚醒を拒否した。

僕は彼女を送って行くというテイで彼女を連れ出した。

そのときの僕は随分と積極的で、彼女の肩に腕を回したりしていた。

すると彼女の方も僕の手を握ったりしてくれた。

しばらく歩いていると突然景色が変わって、僕達はイオンモールのような場所にいた。

しかし、それどころではないほど興奮していたので僕達は人気のない場所を探した。

次の瞬間、何故かベビーカー置き場で壁ドンというやつをしていた。

いよいよ唇を重ねようかという時、後方から視線を感じたので振り返ると、友人がニヤニヤしながらこちらを見ていた。

それに驚いてしまったせいか、だんだんと視界がボヤけて行くのを感じた。

目が覚めて僕は泣いた。

悔しくて泣いたのか、切なくて泣いたのか、悲しくて泣いたのか、よく分からなかった。

 

不思議な体験だった。

わざわざブログに書くまでもない滅茶苦茶な内容だったが、夢日記を付けると明晰夢を見やすくなるとウィキペディアに書いてあったのでここに記すことにした。

 

 

エロい夢を見られるようになったらまた書きます。

さようなら。

 

♪ BABY BABY/銀杏BOYZ

 

心のコンドーム、外してみませんか?

こんばんは。

自宅の給湯器が壊れてお湯が出なくなってしまったため、ここ数日は水でシャワーを浴びるか、友人の家にお世話になるかという生活を続けているマッチョウィンプスです。

さすがに心に限界が来たので、タイムズカーシェアサービスを利用して、普段なら行くことのないスーパー銭湯まで来てみたところです。

たった今風呂から上がって閉館時間、そして車を返すまで時間があるのでこのブログを書いています。

 

ちなみに、家で水しか浴びられない可哀想なマッチョ君に温かいお風呂を貸してあげたいって人がいたら連絡ください。ヤリマンのようにどこへでも飛んで行きます。

※男女問いません。

※タトゥーは入っていません。

 

 

 

本題に入ろう。

昨今、僕には男らしさというものがどんどん失われている。

大学に入ってから家に引き篭もりがちになり、適当なオカズでシコって時々遊びに来る友人と誰かの悪口を言って夜を明かすような暮らしをしているのだから、性根が腐ってしまうのも頷ける。

こんな自分は大嫌いだけど、同時に大好きでもあるので自分が傷ついたり、何かに挑戦して万が一自信を失ってしまったりするような事はなかなか出来ないものである。

しかし将来の事を考えるとこれは非常にまずい事態である。

何故なら、恐らく僕は自分だけの為に働くことなどできないからだ。

学校や部活と違って、辞めた瞬間から無関係の他人になれるのなら、苦しいと感じるとすぐに逃げ出してしまうだろう。

それを避けるためにもやはり結婚はしたいと考える。

しかし先程も述べたように今の僕には男らしさというものが欠落しているので、女性に魅力を感じさせるのは困難だろう。

巷ではよく「モテる男は自信を持っている」と言われるが、これは正しいと思う。

別に不特定多数からモテたい訳ではないが、いざという時「自信」というものはとても大切ではないだろうか。

実際、何かが上手くいった時は確かに自信があったように思えるし、周りのモテる奴、彼女がいる奴、はたまたヤリチンには、自分に自信があって男らしい人間が多い。

それでいてナルシストという訳ではないのだ。

ナルシストとの違いを言葉で表現するのは難しいが、自分のこれまでの取り組みに相応の誇りを持っている、まあそんな感じ。

ナルシストは自己評価が異常に高いので鼻に付くけど、彼らはそうではない。

では彼らと僕の違いは何だろうか?

僕自身、特別コンプレックスに感じていることはない。

同時に誇りに思えるようなことも無いのである。

何か目標に向かって努力し、それを達成した、もしくは達成できなくても努力を続けられたという経験がほとんどない。

記憶にあるのは小学生の頃にリフティングを200回できるようになるために練習し達成した事ぐらいだ。

それも、達成した瞬間に満足してさらに高みを目指すことは無かった。

中学、高校と進むにつれて嫌いな人間が増え、嫌いな奴より優れていたいというねじくれた理由でしか自分を奮い立たせることができなくなった。

これでは嫌いな奴を見下すことは出来ても、自分自身の成長には何も繋がっていないのだ。

 

とにかく自分で起こした行動によって状況を変えたという体験をしなければ彼らには追いつけない。

とは言え何をすべきか特に思い当たらないので、自信を付けるという意味でもとりあえずリアルマッチョを目指してみることにした。

ゴリゴリ筋トレしても続かないと思うので、食事の量を増やして家で出来る腹筋や腕立て伏せをシコシコ続けてみようと思う。

まあ緩く続けて行けたらいいよね、何もしないよりは。

 

(ここで銭湯の閉館時間&帰宅後の流れるような寝落ちのため一時中断)

 

賢者タイムが訪れるたびに開催している人生の反省会で分かった事がいくつかある。

その内の一つが自分の性格である。

僕は失敗をひどく恐れる一方で調子に乗ってしまいやすい性格をしていると考える。

そのためプレッシャーのかかる場面ではネガティブなイメージばかり浮かんでしまい、物事が上手くいった試しが少ない。

それなのにプレッシャーの無い場面で何かが上手くいったら、調子に乗ってそれが出来ると思い込んでしまう。

そのためプレッシャーがかかると出来ると思っていた事も出来ないという無限ループを発生させる事が頻繁にある。

この性格がスポーツ、人間関係、勉学、SEXにいたるまで人生の様々な場面に影響を及ぼしている事は言うまでもない。

今回のテーマに合わせて人間関係の観点から考えてみる。

人間関係を築く上でまとわり付くネガティブなイメージと言えば嫌われる事だろう。

友人関係で言えば自分が相手の事を好きか嫌いかしか考えないし、女の様に些細な小競り合いをいつまでも引きずったりしないので、嫌われる事が頭を過る事はほとんど無い。

厄介なのは恋愛対象者や性的対象者が相手の場合。正確に言えば友人関係からそう言った関係にステップアップする過程。

 

(おい、ちょっと待て。性格がSEXにまで影響するって何だよ!?お前ほとんど童貞みたいなもんだろ)

という声があがる事が予想される。

丁度いい場面なので少し恥ずかしいけど簡単に説明しよう。

実は僕が男らしさを失った最大の原因はSEXだとも考えられるのだ。

大学1年の時、彼女ができて人生で初めてのSEXをした。

しかし好奇心に任せてある体位に挑戦した所、それに失敗し絶頂を迎えられずに終わった。

ちょっとしたトラウマになってしまい愚息が使い物にならなくなったが、慣れれば治ると高を括っていた。

彼女は別の男と肉体関係を持ち、そのまま僕の元から離れて行った。

彼女と肉体関係を持ったその男は僕の知り合いであり、彼は僕に「マッチョ君はHが下手だったって○○ちゃんが言ってたよ」と教えてくれた。

(女なんてSEXのとき寝て喘いでるだけなのに随分と偉そうな事言いやがるなあ)

とも思ったが、

SEXで失敗=嫌われる。

SEX=怖い。難しい。でもしたい。

という解の無いネガティブ連立方程式が僕の深層心理を支配した。

SEXへのネガティブなイメージをいち早く払拭するべく、SEXのできるお風呂屋やマッサージ屋に行ってみたが、ネガティブなイメージを引きずる性格も相まってか、少しHな風呂屋かマッサージ屋にしかならなかった。

さっきコンプレックス特に無いって言ったけどSEXがあまり好きじゃないのがコンプレックス。

説明終わり。

 

恋愛関係や肉体関係を結ぶにあたって、SEXという行為は不可避な事である。

僕は無意識のうちにSEXに繋がる展開を避けていたのかもしれない。

勿論そんな展開は滅多にない。

だが全くない訳ではなかった。

ある冬の日にある女性と食事をして終電を逃した時に「ラブホ行ってもいいよ」と言われたが僕はそれを断って無理矢理帰宅した。

僕はSEXをしたいという気持ちに、SEXで失敗して傷付きたくないというエゴに満ちたコンドームを被せてしまったのだ。

コンドームを被せておけば相手も、そして何よりも自分も傷付かずに済む。

しかしコンドーム越しでは1つになることは出来ない。

本当に好きな相手を目の前にした時、コンドームを付けたままでいると想いを相手に届ける事すら出来なくなってしまう。

 

今こそ心のコンドームを外そう。

傷付き、傷付けてしまう事があるかもしれない。

最初は刺激が強くてすぐに元気がなくなってしまうかもしれないけど、慣れれば上手くコントロール出来るようになる日が来る。

愛する相手を目の前にする時のために鍛えておこう。

コンドームの外の世界、一緒に冒険しようぜ!

 

 

 

 

 

最後まで読んでくれた方ありがとうございます。

さようなら。

 

 

 

ゆるぎないものひとつ/ B'z

地元がつまらない街になってゆく

今回の帰省でそれを感じる事が多かった。

昔よく行っていた場所や遊んでいた場所が潰れていたり、巨大なマンションになっていたり、チェーン店ばかりを集めた商業施設になっていたり。

これが地方都市の宿命だろうか。

このままじゃ埼玉県みたいな何の特徴もないクソつまらない街になってしまう。

経済の事はよく分からんけども、力のある企業がどんどん小さな店を飲み込んでいく感じなのだろうか。

個人店舗とチェーン店が共存してこその商店街じゃなかったのかよ。

ただでさえ学生が集まりやすい場所だってのに、これ以上バカな学生共が湧いて来たら一体僕はどこを安息の地とすればいいんだ。

 

「博多の街も大分変わったね。」

「ばってん、変わっとらんもんもあるったい。」

「変わっとらんもんって何?」

「そりゃあ、内緒くさ。」

「こすかー。」

 

これは福岡土産の定番「博多通りもん」のCMの台詞の一部である。

 

人も街も変わってゆく。

あの頃の僕も、あいつも、あの子も、もういない。

それでもあの頃と変わらないものを持っていたいし、持っていてほしいものだ。

僕は何を得て何を失ったのだろうか。

もう少し戦ってみよう、百道浜も、君も、室見川もないこの街で。

 

♪正しい街/ 椎名林檎

 

 

 

 

 

ゴミで煌めく世界が僕たちを拒んでも

どうも。今年の暑さ、半端ないっすね。“半端ない”と言うとすぐ「大迫半端ないって!」とか言って来やがる自称面白い系バカが湧いて出てくる季節です。

何をするにも「平成最後の〜」と抜かしやがるアホ共もたくさん存在するようですが、奴等は暑さで脳がやられているみたいなので氷塊で脳天ぶっ叩いてやりましょう。

 

 

歳を取る度につまらない人間が周りに増えていくのは何故だろうか。

生きていれば、それだけ新たな出会いというものがある。

しかし価値観の合う人間の割合は確実にその数に反比例している。

気付けば僕はマイノリティーになっていた。

面白いとする事が、大学でワイワイしている彼らとまるで違っている。

では彼らと僕の価値観のズレはどこから生じているのだろうか?

恐らくは異性に媚を売るかどうかにあるのではなかろうか。

モテる事を最優先事項と捉える人間が多くなってしまった。

モテるために彼らがしていることは何か。

陽キャラであること。これに尽きる。

モテるための条件なんて小学生の頃から陽キャラであることだったはず。

陽キャラ=運動が出来る、顔がカッコいい、面白い→モテる

これは必然である。

ところがある時からモテたいが故に陽キャラを演じる奴が急増した。そしてそんな奴らが大半になってしまった。

大学や居酒屋で無駄にデカイ声でワーワー騒いでいる奴らは、大抵が陽キャラを演じている人間の集まりだと僕は考える。

まあ、ここまでは許そう。

自然体では全くモテなかった連中が偽りの自分演じて青春を取り返そうとしている所を邪魔しちゃ可哀想だし。

 

問題は、何故彼らがつまらないのかということ。

僕が思うに、女に会話のレベルを合わせる事が最大の原因となっている。

大前提として、女に面白いという要素はほとんど無いと言っていいだろう。

そりゃ、女芸人みたいに女捨てる覚悟が決まってる人は別だけどね。

大抵の自尊心の強い女に合わせて会話をすると、そのレベルは著しく低下する。

でもモテるためにはそれを楽しんでいるフリをしなければならない。

誰も核心に触れず、誰も傷付けない当たり障りのない会話が繰り広げられる。

僕にとっては心底気持ち悪いけどそれを面白いと思う方が多数派らしい。

だから、おばたのお兄さんみたいなのが流行っちまうんだろうな。

時々偽陽キャの奴が僕のような生き方の何が楽しいのかと尋ねてくるけど、僕はいつも心の中でこう答えている。

「お前のようになりたくないから一人でシコってんだ!」と。

 

まあ精々楽しんでくれよ、平成最後の夏ってやつを。

お前らが海でインスタごっこしてる間にチンポ擦って自家発電してやるから、目の前の友達より大切なそのスマホのモバイルバッテリーとして俺も連れて行けよな!

あばよ!

ひょっこりはん!まーきの!35億!tiktok! AAA! back number!チーズタッカルビ!エグザイル一派!

 

♪『OWA LIAR』/ 岩井勇気

 

http://youtu.be/DeETZMBMXu4